2005年04月21日

ドライビング Miss デイジー(DVD)

白人(ユダヤ)老婦人と黒人運転手の心温まる物語…にも見えますが、アメリカの人種差別(白人 > ユダヤ > 黒人)の構図をも描いて居て考えさせる映画でした。

「学校の先生をしていたMissデイジーは教職を退いて一人暮らし(黒人の召使いが一人)をしている。車に乗って出かけようとしたところ操作を誤って危うく怪我をしそうになり、心配した息子が運転手を雇う。最初は受け入れず全てを否定していたが、徐々に受け入れ信頼が芽生えていく…」

映画の中では、激しい起承転結の変化は殆どありません。日常の出来事を淡々と描いているだけなのですが、その1つ1つのプロットがよく考えられており、頑なに頑固だった老婦人が少しずつ心を許し、本来持つ優しさを発揮し、友情を芽生えさせる様がうまく流れる様に描かれています。

…斜めから見た感想…
高齢とユダヤ人である事の(人種差別に対する)防衛本能(?)などから「頑固」なおばあさんの元に、黒人で差別されることを受け入れざるを得ず生きてきた運転手が来て、受け入れられないけれど、それを受け止めている内に信頼が得られていきます。
時代背景を考えれば、ほんの数年前まで第二次世界大戦があって、海の向うドイツではユダヤ人は捕らえられガス室に送られ大虐殺されていたされていた訳です。このご婦人はそれ以前にアメリカに移住してきたと推察されますが、ユダヤ人の迫害は何もナチスに始ったことではないので、白人の差別の目を強く感じていたことでしょう。召使いか肉体労働しか働き口がない黒人と、自分がユダヤ人として差別を受けているにもかかわらず黒人を人以下と見なして扱う矛盾が、警察の身分照会と運転中のトイレというエピソードに盛り込まれていて、その辺りの感情は理解しにくいものと思いますが、多分日本で在日朝鮮人が受けている無言有言の差別と似た様なものなんでしょうねぇ。
兎に角、老婦人はそれを「友情」と呼びますが、私にはそれは「立場が上の者の勝手なエゴ」だと思いました。制作者側はこの映画を「人種を越えた友情を描く映画」として作ったのか、それとも「この時代にはどうしようもない差別があって、時代と共にそれを乗り越える努力をしてきた。けれど、この時代にはまだこんな感じだったんだ」と言い表したかったのかがよく分かりません。いや、判らなくて良いのかもしれませんね。見た人がそれぞれに感じたことが正解なのでしょう。映画の中でもキング牧師と言うキーワードが出てきて人種差別についての愚かさが語られています。ですから、私は後者の「人種差別への皮肉を込めた映画」だったのだと思いつつ映画を振り返っています。これがそのような意図が無く、そのような人種差別の時代を経て長い間に二人に友情が芽生えたと言う映画であったとしてもとても良くできた映画だったと思います。わざとらしい、無理のあるプロットなどを入れることもなく、淡々と二人を中心とした日常を描く様は、退屈でつまらないと思う人にはそうでしょうけれど、私はそれでも見入ってしまいました。





この記事へのコメント
こんちわ〜

トラックバックありがと〜。

うんうん、差別が友情に変わったり、差別を克服したりする映画の存在は、「差別がある」ってことの証明なんですよね。

>「人種差別への皮肉を込めた映画」

いろんな解釈をすることができると思います。
だた、そうだな、きっと、皮肉言ってもいいことだし、自分自身にも、問われることかもしれないと思いました。
Posted by トーベのミー at 2005年04月22日 02:10
そうですね。ワタシは

“この時代にはどうしようもない差別があって、時代と共にそれを乗り越える努力をしてきた。けれど、この時代にはまだこんな感じだったんだ”

に近い感覚で捉えましたよこの映画。
芽生えたモノは決して 友情 ではないのだけれど(それは、あの黒人の運転手がイチバンよくわかっていると思うの)、でも、Miss Daisy にとっては、あそこまでが精一杯の正義心みたいなものから育まれる友情だったのではないでしょうか。。。そこのところの差別に対する限界とその限界を超えたヒト対ヒトの温かさを描いた作品であったような そ〜んなちょっと複雑なことを感じました(書きながら、ナニ云ってんだろ です)
Posted by Sa at 2005年04月24日 21:40
トーベのミーさん>
コメントありがとうございます。
差別はあってはならないと思っても、どうしても芽生えてしまうものなのかもしれません。
日本でもアジアへの蔑視は存在していると思います。自分はしていないと思っていても、もしかして…と考えさせられる時があります。

Saさん>
TBとコメントありがとうございます。
そうなんですよ。デイジーにしては心を許して友達と思ったかもしれませんが、それは「私が心を許してあげたのよ」という対等ではない立場での擬似的な友情で、運転手の側は結局差別という壁をずっと感じていた上で「ご主人様」に仕えていたのではないかなって感じが見えていたんですよ。で、それを友情というのは、上から見た場合で黒人の立場から見上げたら「てやんでー 何が友情だよ」と言う事になるんじゃないかなぁ…
あるSF小説に黒人の召使いがいる家庭が、核戦争が始まって家のシェルターに逃げ込んだら、近くで爆発があってシェルターが未来にとばされる。その世界では黒人の地位が一番高くて…って言うのがありました。それまで白人の主人は分け隔て無く平等に扱ってきたつもりだったのですが、その世界で召使いだった黒人は「今までよくもこき使ってくれたな。あの屈辱は忘れていないぞ」という感じになる訳です。この映画も上から見た視点と下から見た視点で全く感じ方が変わるんだろうなぁと思いました。
Posted by lunatic at 2005年04月24日 23:43
この映画の中で感じたことは・・・デイジーが老人ホーム?に収容されてからも、まるでホーク(運転手)に甘えるようにしていたのが印象的でした
ホークも暖かく見守っているように思えたのです
最初のころは差別を強く感じたのですが、それを通り越してしまったのかな??と感じたのがラストです。
あれ?変かな?
Posted by chibisaru at 2005年04月27日 15:22
chibisaruさん>
コメントとTBありがとうございます。
素直な目で見れば、人種や職業を超えた友情が芽生えた感動の名作なんでしょうけれど、それは運転手というか黒人の目から見た視点じゃないのでは?と言うのが斜めから見た感想です。黒人は自分が差別されている事を受け入れた上でデイジーも受け入れている。つまり黒人召使いの寛容さと白人の身勝手さと言う風にも取れるなぁと…物事には裏と表が必ずあると思っています。だから多くの人に善行と見える事でも一部の人には受け入れられず争いが起きるという訳で、この映画もそう言うところを描こうとしたのか、それとも素直に取るべきなのか…そんな風に悩んでいる訳です。で、どちらの見方も正解だと思います。心に感じた事が大切ですね。
Posted by lunatic at 2005年04月30日 02:18
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Excerpt: これは以前観たことがあります。でも、とても感動したことを覚えていただけで、全然内容を覚えていませんでした。 勿論主役の二人(ジェシカ・タンディとモーガン・フリーマン)もイイのだけれど、ソフトフォ..
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#260 ドライビングMissデイジー
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